ちょっと気になったこと…。ガンダム対暗黒大将軍

2011年12月26日

大和とヤマトの出会い

最初にお気に入りだったのはスヌーピー。
幼い頃から現代医療では救うことの出来ない大病を患い、入院をしていた姉の看護に
母親がかかりっきりだったので寂しがらせるといけないと思って、
デパートで見つけたぬいぐるみをほしがる自分に対して買ってくれたキャラクターがスヌーピーだった…
その数年後、幼い妹に鼻を食いちぎられたりするのは後日談…(苦笑)。

なので幼少のころは母親の親、つまり自分に対しては祖父、祖母にあたる家などで毎度の様に
お留守番をしていた。

 その頃だろうか…TV放送の続編による告知か?はたまた映画の告知用にか、
『宇宙戦艦ヤマト』の第1作が再放送をたまたま TVの電源を入れたら映っていた…。

 新聞の番組表なんかはもちろん 曜日も、はたまた時間も把握してしていなかった、
大まかに朝飯、昼飯、晩飯ぐらいしか時間の感覚がないのだから奇跡に近かった。

 印象が強烈に記憶に残ったのが これがまた『夕日にたたずむ戦艦のころの大和』からの宇宙戦艦ヤマトとして誕生するシーンで
作品内容についてはさっぱり理解できるわけがなく、後日、主題歌でなんとか何処へ行って帰ってくるのかがわかる程度の出会いだったがインパクトは十分だった。

 本来、自分の世代でいうと『ヤマトⅢ』か、『永遠』のあたりであり、偶然とはいえ、『第1作』が『ヤマト』として認識した初めての映像ということがその後を考えると幸せであったと思う…。

 功を奏したのが両親の故郷が『淡路島』という事もあり、祖父の近くにあるおもちゃ屋さんの時代のサイクルは非常に遅れており、
ほしいと思ったら『ダイキャスト製の宇宙戦艦ヤマト』といえば黒々とした軍艦色が手に入った。
(プレイステーション全盛期の頃にその店ではディスクシステムが在庫で残って陳列されていた・笑)

映像で観たまんまの形で非常に気に入ったものだった…のちに水色の艦体色の『ヤマトⅢモデル』を見たときは「これじゃない」と瞬間的に思ったが、
今にしてみれば軍艦イメージを廃し、ヒーローメカとしての方向性に作品内容もシフトしていこうとしていた時期のだからああなるのは仕方がなかったのだとわかるが、
自分としては『これ』はあり得なかった…。

 祖父の働く船の給油所のイカダから海を隔てた対岸には大型造船を製造している船が見え、
普段海に浮かべれば見ることのできない艦首のバルバスバウが目視できる事ができた環境だったから、
艦体色や重みの重要性というのは理解できていたからだと思うし、

 ダイキャスト製のヤマトを祖父が見たときに戦艦大和と違う部分の指摘を真剣に話してくれた知識にふまえ
おもちゃ屋さんでプラモの大きな箱に描かれた戦艦大和を祖父に教えてもらったのが決定的で 
ヤマトがいかに実在の戦艦の『大和』の艦影を持っていたかを知りえるには十分な説得力が箱絵にあった。

『波動砲』について出た祖父の感想が「これがあれば乗った人間が一人でも多く生きて帰ってこれただろうに…」
とつぶやいた言葉が「軍艦」の宿命である「戦争で生まれた兵器」としての知識も注入されているから
水色着色ヤマトには到底理解できなかった嫌な子供に仕上がっていた…笑。

箱絵の戦艦大和に感動したのがもう一つ、
『大和』と描いて『やまと』と読むのだが、言われなければ到底どう考えても読めない。
自分の名前もまた『言わなければ読めない名前』…さらに共通点がもう一つ、自分にも『大和』と同じ
漢字が一つ使われているのに親しみを覚えたのを記憶している…。


…つづく



n1239unnso at 13:26│Comments(0)TrackBack(0) 軍曹のつぶやき… 

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