2006年05月31日
ぶらり 近所散歩…HDD蔵出し写真。
ウチの市には あの『三ツ矢サイダー』の発祥の地があります。
清和源氏の祖、源満仲公が城をつくろうと 住吉大社に与えられた白羽の鏑矢で天に向けてはなった矢が飛んでいった方向を目指しこの地にやってきたことから言い伝えははじまっており、
ある時 鷹狩りに出かけた際、偶然に居城に近い塩川の谷間に湧き出た水を発見、高い治癒力を持った霊泉であったといわれており これを沸かして温泉として明治初年頃まで永く繁栄した温泉郷だったそうです。
その一方でこの鉱泉を商品化して売り出したのが『三ツ矢サイダー』というわけです…。
元祖『三ツ矢サイダー』は只者ではないのが上の記事、コレラ菌に殺傷能力を持っていたという鉱泉だった事がわかり、言い伝えがさらに拍車がかかって東宮殿下(後の大正天皇)の御料品に指定されたそうです。
見た目立派そうな化粧箱です…これで皇室および宮家へ納入されてたんですね…。
ちなみに 一番上の写真の建物は御料品を製造するため専用の建物(昭和45年建築)だったそうです。
もうひとつネタをだしますと わが市では こんなへんてこな 名前がつけられた橋があります。
その昔、川の氾濫でたびたび 木造で造られた この橋が流される寸前の様子が『コンニャク』のようにグネグネと曲がって耐えていたそうな…
そんな子供がタマにつける屈辱的なあだ名の様な名称をもった橋です
(もちろん今は立派な橋になっております)
清和源氏の祖、源満仲公が城をつくろうと 住吉大社に与えられた白羽の鏑矢で天に向けてはなった矢が飛んでいった方向を目指しこの地にやってきたことから言い伝えははじまっており、
ある時 鷹狩りに出かけた際、偶然に居城に近い塩川の谷間に湧き出た水を発見、高い治癒力を持った霊泉であったといわれており これを沸かして温泉として明治初年頃まで永く繁栄した温泉郷だったそうです。
その一方でこの鉱泉を商品化して売り出したのが『三ツ矢サイダー』というわけです…。
元祖『三ツ矢サイダー』は只者ではないのが上の記事、コレラ菌に殺傷能力を持っていたという鉱泉だった事がわかり、言い伝えがさらに拍車がかかって東宮殿下(後の大正天皇)の御料品に指定されたそうです。
見た目立派そうな化粧箱です…これで皇室および宮家へ納入されてたんですね…。
ちなみに 一番上の写真の建物は御料品を製造するため専用の建物(昭和45年建築)だったそうです。
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もうひとつネタをだしますと わが市では こんなへんてこな 名前がつけられた橋があります。
その昔、川の氾濫でたびたび 木造で造られた この橋が流される寸前の様子が『コンニャク』のようにグネグネと曲がって耐えていたそうな…
そんな子供がタマにつける屈辱的なあだ名の様な名称をもった橋です
(もちろん今は立派な橋になっております)